ジンセイ。
「ああ……」
 ゆっくりと薄れゆく意識の中、わたしはぼんやり思った。
「あの人と出会って、恋をして、子供を産んで……わたし、幸せな一生だったわ……」
 ――――幸セ?本当ニ?
 わたしの視界が、急激にぼやけ始める。
「もう……何も思い残すことはない……」
 ――――何モ。何モ?嘘。違ウワ、ソンナ筈ナイ。私ハコンナ
「もし生まれ変わることがあるのなら、わたしはきっと、もう一度あの人と出会い、恋をしてこんな幸せな人生を送るの」
 コンナ……作ラレタ物語ノヨウナ人生、望ンデイタトイウノ?
 夫の声が聞こえるような気がする。ようやく……これでようやく、わたしはあの人に再び会うことができるのね。
 ああ、医師が、耳元で何か言っている。だけどそれも最早わたしには聞こえない……。

「よし、完了」
 男は手馴れた手つきでスイッチをOFFにし、電極を抜き出した。
 隣で、報告書を書きこんでいた青年が、難しい顔で男に話しかける。
「しかし山本さん。……このダブル、最期に少し、自我を持っていませんでしたか?」
「かもな」
 男―――山本は軽く肩をすくめつつも手を休めず答えた。
「だけど、それがどうしたというんだ?オレたちにはどうしようもないことだ。それよりも、そのことを報告書には絶対書いたりするな。この頃、ダブルの人権がどうのこうのって、煩くて敵わん」
 きっぱりと言いきられ、青年は溜め息をついて頷いた。山本の言う通りには違いないからである。
 20XX年。科学技術の発展で、医療は格段に進歩した。いずれ近い将来、不治の病という言葉が地上から消え去るだろうという説があるほどである。
 そしてそれはまた同時に、ヒトが神の領域まで手を伸ばしたことも意味していた。
 通称“ダブル”―――不慮の事故、病に備えたクローン体の育成が公に行われるようになったのである。

 交通事故でほぼ即死状態だった涼子は、生き返れた幸せに深く浸っていた。しみじみと、現代医学の素晴らしさに想いを馳せる。脳さえ無傷なら、こうやって元通りになることが可能なのだ。五十年ほど前だったら、たぶんこうはいかなかっただろう。
 特にすごいのは元が自分自身であるから、違和感すら感じないことである。日焼けで作った変なシミや幼い頃のナイフの傷なども、新たな体にはないことも一層嬉しい。
「ああ、涼子」
 退院の手続きに来た母親が目に一杯の涙を溜めて呟く。
「すっかり元気になれて良かったわ……。交通事故の知らせを受けた時、肝を潰したものだけど」
「……うん、ごめんね、お母さん。心配かけて。……それと私のダブル、作っておいてくれて本当に有難う」
 母親は嬉しげに頷く。そして、遠くに眼差しを向けて回顧した。
「―――初めはねえ、ダブルなんて気持ち悪いと思っていたのよ。言ってみればもう一人の涼子でしょう。でも、今はダブルにバーチャル・リコレクション(擬似記憶)を与えるという人権保護が確立された。ちゃんとダブルも幸せになれるんだって……。だから思いきって涼子のダブルを作ることにしたのよ。本当に作っておいて良かったわ。お金はかかったけど、涼子の命には替えられないもの……」
「ダブルの幸せ、か……」
 ゆっくりとコートを羽織ながら涼子は己の両手を見下ろす。
 もう一人の自分。
「そうよね。今の私はダブルのおかげでこうやって生きているのよね……。私、将来ダブルのリコレクション・ライターになろうかな。ダブルの幸せくらいは作ってあげたいもの……」
「そうねえ。そういう職業も、いいかも知れないわねえ……」


’00.2.