マンボウの恋

 もうずっと昔のことなんですけど、ホラ、マンボウという魚がいるでしょう?縦にぺったりとした魚。あの魚なんですけどね、実は今と違ってもっとふっくらと丸く、大きかったんですよ。え?ホントかって?ホントですってば。だってマンボウってフグの親戚ですもん。フグとはビックリするくらいとても良く似ていたんですから。まあ、大きさは全然違いましたけどね。
 で、そんなマンボウがどうして今のぺったりとした変な形になってしまったのか、不思議でしょう?何故、そうなったのかを知りたくありませんか?――――そう、理由はね、彼のせつない恋のせいなんです……。

 マンボウが今よりもっと丸く魚らしい形をしていた頃のことです。
 マンボウは、あるとても美しい女性に恋をしてしまいました。それは海洋一の美女、みんなの尊敬と崇拝を一身に集める――――竜宮城の主・乙姫さまに。
 マンボウはとても内気でした。そのため喋りかけたりなんて勿論できず、いつもただ遠くから見つめるしかできませんでした。来る日来る日も、物陰からじっと。
 だけど、それは長く続かなかったのです。
 何故ならマンボウの無言の視線に、乙姫さまが耐えられなくなったからです。
 乙姫さまは無常にも、竜宮城の警備兵――――アシタカガニやのこぎりザメへ「マンボウを竜宮城へ近寄らせないようにしなさい」と命じました。
 マンボウはすっかり失意の底に沈んでしまいました。
 
あの美しい真珠のような乙姫さまに会いたい。ほんのわずかでいいから。
 
マンボウは悩み苦しみました。広い海をたった一人、ぐるぐるぐるぐると泳ぎまくりました。
 
だけどどうすることもできないのです。
 
せめて小さな魚であれば警備兵に気付かれず竜宮城へ忍び込めるでしょうに。なのに図体が大きいばかりにそれも敵わないのです。一月も経つ頃には、マンボウは見る影もないほどひどく痩せ衰えてしまったのでした。
 
そんなある日のこと。
 
竜宮城で春の宴が催されることになりました。
 
春の宴といえば乙姫さまが年に一度、その日のみ素晴らしい舞を舞うことで有名です。
 
それを見ることすら許されないマンボウは、もうこれ以上ないと言わんばかりに嘆きました。
(乙姫さま……!ああ、あの舞っている姿がたった一目でも見れるのならば、もう死んでもいいのに……!)
 マンボウはげっそりとやつれた己を見下ろしました。最早、以前の半分ほどの大きさしかありませんでした。このまま放っておけば、きっと死んでしまうことでしょう。
 ――――ならば。
(どうせ死ぬのならば。最後にもう一度……!)

 マンボウは、とうとう竜宮城へ向かいました。誰にも止められない悲壮な決意を固めて。
 年に一度の春の宴、竜宮城はあちこちから見物客やら使節やらが集まっています。てんやわんやの大騒ぎのため幸いと言うべきか、誰もマンボウに注意を払おうとしません。
 それでもマンボウは、そろりそろりと気を付けながら奥へ向かいました。
 竜宮城の最奥、宴の間。
 
ようやく辿り着いたマンボウは、こっそり隅の柱の影に隠れます。
 やがて、妙なる楽の音が聞こえてきました。大勢の感嘆のため息があがり……煌びやかな衣装に身を包んだ乙姫さまの登場です。
(乙姫さま……!)
 マンボウは思わず身を乗り出しました。もっと近く、もっとはっきり、乙姫さまを見たい……!
 その瞬間です。マンボウの近くで声があがりました。
「あ、お前は!」
 はっと振り返ってみると、竜宮城の警備兵、それも獰猛なシャチではありませんか。
 マンボウは慌てて泳ぎ出しました。シャチの目はぎらぎらしており、とても恐ろしかったのです。ですが、弱っているのであまり速く泳げません。たちまち追いつかれそうになりました。
「待て!こいつめ!」
 ばしゅ。
 よたよたと逃げるマンボウに対して、シャチがばっくり噛み付きました。
「ぎゃ!」
 マンボウは叫びました。叫びつつも、最後の力を振り絞ってよろよろと外へ行きます。これで死ぬのは一向に構わないものの、せめて晴れがましい乙姫さまの宴を汚すことはしたくなかったのです……。

 ――――以上がマンボウの恋のお話です。
 そしてこんな風に叶うことのなかったマンボウの恋ですけども、悲しいままには終わりませんでした。シャチに尾びれを取られてふらふらしているマンボウに、一つの手が差し伸べられたからです。それは、宴を見に来ていた一頭のイルカでした。
 いつしか時は経ち、マンボウの傷は癒えました。今はイルカという優しい恋人を得て幸せな日々を送っているのです……。
 ――――え?それでどうしてマンボウがぺったんこになってしまったのかがわからないですって?
 つまり、乙姫さまへの恋心でマンボウはすっかり痩せてしまったからですよ。そして結局、元に戻ることはなかったのです。シャチに尾びれも取られてとても変な姿になってしまいました。
 でも、姿形なんてどうでもいいものなのかもしれませんよね。
 だってマンボウは今、幸せなんですから。