理論の証明
「アインシュタインの相対性理論を知っているかしら?」
 病室の白いベッドの上で、広沢のおばあちゃんは静かにあたしに尋ねた。
 持って来たガーベラを花瓶に移していたあたしは「ふえっ?!」とマヌケな声を上げる。
「そーたいせい理論?なんかちょっとだけガッコで習ったと思うけど・・・よく分かんなかった・・・かな」
 少し考えて、正直に答えたらおばあちゃんはふふふと笑った。あたしはこの、なんとなく上品で優しい笑い方がケッコウ好きだ。
「アインシュタインという科学者が唱えた空間や時間についての理論のことよ。私も難しくて全部理解出来なかったのだけれどね」
 おばあちゃんはゆっくりと座りなおして小首を傾げた。
「相対性理論によると、時間の流れは一定ではないのですって。早く動いている人の方が、動いていない人より時間の流れが遅いそうよ」
「えええ?じゃあ・・・じゃあ、じっと動かずに数学の授業を受けている方が、走り回る体育の時間より短い・・・ってことになるの?」
 あらあらまあまあ・・・と、おばあちゃんは目を細めた。
「数学は嫌い?」
「大キライ。宿題も多いし」
「だけど実花ちゃん、小学校の時に算数で一番を取ったことがあったでしょう?」
「算数はカンタンだったもん。でも中学の数学はすっごくムツカしいんだよ。この間の中間なんか、赤点スレスレ。・・・それよりもさ。そうたいせい理論が何?どうかしたの?」
 強引に話を元に戻したら、おばあちゃんはまたふふふと柔らかに笑った。
「あのね、実は私には双子の姉がいるのよ。とても活発で元気一杯な姉。スチュワーデス・・・あ、今はなんとかアテンダントって言うのかしら?とにかくそういう仕事をしててね、退職後もあちこち旅行に行ってて。小さなときから病気がちで家に閉じこもりっきりだった私と大違い。本当に双子なのかしら?ってよく思ったものだわ」
「ふうん・・・」
「でね、この間、70歳の記念に二人で写真を撮ったの。ほら」
 おばあちゃんはベッドサイドの小灯台から一枚の写真を取り出した。
 受け取ったあたしは、中で仲良く並ぶ二人の女性をしげしげと眺める。
 おばあちゃん家の庭で撮った写真だろうか。バックには縁側と、鮮やかな青いアジサイ。天気も良さそう。そして、今、あたしの前でニコニコしているのと同じ優しい笑顔の広沢のおばあちゃん。その左隣に、おばあちゃんとよく似た50〜60代の女性。・・・双子の姉?えええっ?!
 ビックリして何度も見直す。あたしの困惑振りに、おばあちゃんは満足顔だ。
「ね、すごいでしょう?これが相対性理論の証明よ。同じときに生まれても、その過ごし方で流れる時間は全然違っていたの」
「うん・・・ビックリ・・・した・・・」
 そうか・・・。すごいなあ。えーと、そうしたら、じっとしているよりいっぱい動いた方がいいのかな?でも歩くくらいのスピードじゃ、あんまり意味ないのかしらん。
 あたしがそんなことを考えていたら、看護師さんが来て「検査の時間ですよ」と告げた。
 あたしは立ち上がり、また来るねとおばあちゃんに手を振る。おばあちゃんもゆっくりと手を振り返した。

 病室を出て、ナースステーションの前を通り、ホールからエレベーターで一階まで降りる。
 土曜の午後の閑散とした待合室を抜けて出口へ。
 自動扉が開いて、一人の女性とすれ違った。・・・広沢のおばあちゃんによく似た横顔。
 思わず、はっと振り返る。
 違う。
 写真の人じゃない。同じくらいの年代だけど、写真の人はショートヘアだった。でもあの人は長い髪だ。たぶん、おばあちゃんの娘さんの一人に違いない。4人、子供がいるって言ってたもん。
(あれ?ちょっと待って)
 あたしは、ハタと立ち止まった。
(もしかして・・・おばあちゃんにからかわれた?)
 双子の姉じゃなくて、本当は、娘さんの一人との写真なのかも。
 あたしはエレベーターへと向かう女性の後姿を眺めて、首をひねった。
 ううん、でも・・・本当かどうかなんて、別に分からなくていいや。その前に、アインシュタインの相対性理論を勉強してみようかな。なんだか、面白そうじゃない?だってみんなの時間の流れが同じじゃないなんて、さ!



2008.5.23