月夜
 真っ暗な空には奇妙なオレンジ色の月しかない、変に暑苦しい夜。
 ぼくは会社帰りに同僚とちょっと一杯飲んだので、少しご機嫌に鼻歌なんぞ歌いつつ、一人のん気に歩いていた。―――そんなぼくの目の前を。ふいにフラフラと一匹の猫が通り過ぎた。
「?」
 目の錯覚だろうか?ぼくは思わず首をひねった。だってその猫は二本足で立っていて、しかも上半
身(?)に毛がなかったのだから。

「うぃー。……なんだ、お前。オレに何か文句あっか」
「え、え?!」
 びっくりの二乗。なんなんだ、この猫?!言葉まで喋るのか。
 そんなぼくの思いが顔に出たのか、猫はフンと鼻で笑い、ふんぞり返ってぼくを見た。
「オレはいわゆる化け猫だ。もう三百年ばかり生きているんだ。どうだ、すごいだろう」
「う、うん」
「そうだろ、そうだろう?なのにこの頃の人間どもときちゃあ、ちっとも面白くねえ。せっかくオレが色々おどかしても全然恐がりやしないんだ。やってらんねえよ」
「大変だねえ」
「そう思うか?……あんた、いい人だねえ。うう」
 思わず打ったぼくの相槌に、猫はなんと泣き出した。そしてとつとつと身の上話なんか始める。ぼくの方もすっかり猫の話に惹き込まれ、ついには貰い泣きまでしてしまった。真っ赤な赤鬼に変身して女子高生を脅したら反対に棒きれを持って追いまわされたとか、幽霊の振りをしたら子供が大喜びしたとか、なんだか救われない化け猫ぶりじゃないか。今は化け猫にも住みにくい世の中なのだ。
「ところで……」
 しばらく経ち、真っ赤になったであろう目をこすりつつ、ぼくは猫に問い掛けた。
「君、一体上半身の毛はどうしたの?まさか誰かに剃られたの?」
「え?」
 猫は慌てて自分の体を見る。
「ああっ、さっきの飲み屋に忘れてきちまったい。急いで取りに戻らにゃ!」
 猫は叫んで飛び上がってから走り出した。一瞬立ち止まり、ぼくを振り返って「ありがとうよ」と一言残して……。
 だけどもぼくは、ぼく自身もカバンを飲み屋に置き忘れていたことに気づき、猫同様飛び上がって走りだした―――。